柴本幸

私にとって言葉を綴るという行為は、生きる上でなくてはならないものです。「文字」というツールを使うからこそ、生まれる世界があり、そこにしかない自由があります。 例えばあまりにあまりにあまりに、あまりに美しい朝焼けを見たとする。思わずカメラにはおさめるものの、その場で瞬時に言葉にするのは正直難しい。だから胸に湧き上がる感情をできるだけ体で覚えておいて、イメージを足してみる。 或いは、いくつもの感情が蠢いて、どこにもぶつけることができないでいる時。取捨選択せず、片っ端から文字にして、静かに眺めてみる。すると不思議なことに、カゴの中のものを1つ1つ風呂敷に拡げるように、丁寧に取り上げるだけで、嫌だ嫌だと逃げていた感情と、素直に向き合えたりする。 人は言葉によって傷つき、言葉によって救われます。上澄みを取り去って出てきた真実を伝えたからと言って、人との距離が縮まるとは限らない。受け手がどう取るのか誰にもわからないからこそ、無限の可能性が拡がる。それが言葉の面白さです。 言葉の綾、とはよく言ったもので、名言と呼ばれるようなキラキラとした一文に、救い難い影が潜んでいることもあれば、一見暗くみえる言葉の羅列に、強い希望の光が宿っていることもある。その真意を汲み取り、体にしっかりと染み込ませた上で、私にしか紡ぐことのできない言葉を発信していきたい。それが3ヶ国語でできるようになればと思うけれど、あまり焦らずにね。